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2008年8月11日 (月)

子の誕生と親の義務


■今回の記事について■
 私個人の考え方・感じ方により書かれております。
 当記事により、ご不快な思いをされるかも知れませんが、
 ご容赦下さいますよう宜しくお願いいたします。


守口市乳児殺害事件と呼ばれる事件をご存知でしょうか。

事件の大まかな概要は、以下のような感じです。

民家に強盗が侵入、生後18日の乳児を殺害し出産祝金

を強奪し逃走。母親は粘着テープで拘束されていた。

事件後、母親は飛び降り自殺。22歳という若さであった。

この悲惨な事件に、新たな事実が警察より発表された。


『事件は、自殺した母親による狂言』



子供を産み、育てるという事に、とてつもないプレッシャー

を感じていたのだろうか。

自殺した母親は22歳。父親は22歳の大学生だという。

何故、産んだのか?堕胎という選択肢もあっただろう。

それでも出産したのは、本人の意思、または親族の意思も

あったのだろうか。

いずれにしても、その結末は最悪のものとなった。



私が父親になったのは、25歳のとき。

会社に勤めて、3年が経過した頃だったと思います。

私の場合、俗に言うできちゃった婚でした。

嫁さんとは、既に10年の付き合いであり、彼女との結婚に

ついては十分に意識していました。

それでも、子供が出来た知らせを受けたときは、正直なところ

すごく動揺しました。

それは、子供を持つという事 = 重大な責任を伴うという

考えがあったからです。

「果たして自分の安月給で、生活できるのか?」

「自分は父親として、本当にやっていけるのか?」

『子供を産む。親になる。』ということは、とても簡単に

出来てしまいます。ところが、

『子供を育てる。親の義務を全うする。』となると、そう

簡単に出来る事ではありません。

子が出来れば、親になったというものではないのです。



自殺した母親は、生後間もない我が子の口を、粘着テープで

塞いで窒息死させたとの事。

自分自身、苦しんで産み落とした我が子の命を、幼く身動き

出来ない我が子の命を、酷い手段で絶った母親。

その上、偽装強盗を計り、自身に罪が及ばないようにする等、

もはや母親云々よりも、人として許せない行ないである。

勝手な親の都合で命を与えられ親の都合で命を奪われる

子は親を選べないとはいえ、あまりに可哀想である。



ここ数年、こういった子供に関わる理不尽な事件が増えたよう

に思う。それは、私に子供が出来て、このような問題に関心を

寄せるようになり、過去のこういった事例に気が付かなかった

だけかも知れないが。。。

今の人間は、もっと命について考え直す時ではないかと思う。

それは大人だけではなく、小さい子供の頃から教えるべきだと

学校教育の中に取り入れるべきだと、私は思います。


私には何ら関係の無い事件ですが、死んでしまった今なお、

この母親を許す気持ちにはなれない私です。

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育児」カテゴリの記事

コメント

学校での命の学習・・・、それも大事な気がしますが、
命を学ぶのは、やはり環境しか無い気がしますね・・・。

昔のように、家族の付き合いが深く(非核家族で)、近所の付き合いが深い、
そういう環境で、親しかった身近な人の死、というのを見たとき、
はじめて、本質的な命への理解が始まるような気がします。
私も、そういう死の経験が無いので、いくら授業で聞いても、
頭で理解するのが限度です。。。感受性高い方なら、別かもしれませんが。

アメリカなど、周りの環境で学ぶのではなく、
親が直接的に深く語るということで学ぶ、という環境、社会であれば、
命について、それなりの理解が得られるような気はしますが、
日本など、本来親が直接的に深く語る、というよりは、
周りの環境の雰囲気など、そういうものを大事にしてきた
社会で、周りの環境の深さが無くなれば、当然、
今度は親が大部分を直接教えなければいけないわけですが、
その”親”自体は、過去に直接に命に関して、
親から教えてもらう機会がなく、結局、
教え方が伝承されずに、あいまいになってしまっている、
というケースが、少なからず、存在していると思いますね。。。
いくら先生から話を聞いても、所詮、先生は他人なので、
今の子どもにとっては、あまり信用度は高くないように感じます・・・。

昔より子育てが難しいと言われているのは、
この伝承が無いからではないか、と、個人的には思っています。
大部分の子育てを受け持てる、強い方は大丈夫でしょうが、
今まである程度、伝承に頼ってきたようなタイプの方には、
今の社会環境が、かなりの重荷になっている気がしますね。

如何せん、難しい問題です・・・が、難しい問題で、
全てを終わらせるのもいけないな、と思います。

とりあえず、近所付き合い等を深めていくとともに、
子どもは親のものではなく、社会のもの、世界のものなんだと、
意識を変えていく必要がある気がします。
それができれば、命について、理解が深まる気がします。

長文失礼m(_ _)m

投稿: 白黒好 | 2008年8月12日 (火) 01時43分

>白黒好様
コメントありがとうございます。

ご意見、「今の人の考え方だなぁ」と感じました。
学校や教師に対する感じ方、親という立場の人に対する感じ
方や、社会に対する見方など。

確かに近年、あらゆるメディアにより入ってくる親や学校に
対するイメージや情報。私が子供の頃のそれとは異質です。
子供たちが、それらに対する感じ方や受け止め方が『信頼』
ではなく『疑問や警戒』になっている様に伺えます。

もちろん十年二十年前にも、親や教師として不適格な人達は
存在したでしょう。ただ、今ほどインターネットやマスコミ
に容易く情報が流れる事も無かったので、一般的に見えなか
った事もあったでしょう。
ある意味、情報が安易に入手できる現在は、不自由ですね。

学校が道徳や命について説いても、子供たちが真っ直ぐに
受け入れられないのは、今の世ならではな感があります。
だからこそ、学校や大人が若い人達から『信頼』できる
社会に戻ってもらいたいものです。

投稿: ゆー | 2008年8月12日 (火) 23時15分

わたしは、国や時代を問わず、教育(学校も家庭も含みます)には根本的に忘れられている(認識すらされていない?)ことがあると思っています。
それは、人間と他の動物との根本的な違い・・・人間だけが本能に基づかずに生き、自ら築いた幻想(文化)に翻弄され、僅かに残っている本能のかけら(個体保存、種の保存)すら否定していることに気付いていない現実(少しは気づきはじめたかな?)・・・です。
ここで多くを語る気はありませんが、そのことに気付けば、教育も経済活動も自然に「人の命の大切さ」や「地球環境の守ることの大切さ」に重きを置いたものになっていくはずだと思います。

投稿: 窓際の文化人(ぶんかびと) | 2008年8月25日 (月) 22時52分

>窓際の文化人様
コメントありがとうございます。

自らが造り上げた文化に翻弄という点は、学歴社会に
おける競争というところに顕著に現れていると思います。
受験戦争と呼ばれるものは昔からありましたが、近年は、
特に目立っているように思います。
受験に勝つという点に重点がおかれ、公衆道徳や常識が
軽んじてとられている様に感じます。
『勉強は出来るけれど常識が無い』そんな子供、あるいは
大人が多すぎる。自分の子供達が大きくなった未来を憂う
気持ちで一杯になります。

投稿: ゆー | 2008年8月26日 (火) 12時07分

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